コラム213号 掲載

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◎今月のコラムは、4月発行「岩手産業保健総合支援センターだより」に掲載している当センター【産業保健相談員 山田 惠子先生】のコラムをご紹介します!

桜とカエルの卵 ― シュレーゲルに教えられたこと

産業保健相談員 山田 惠子(メンタルヘルス)
【看護師、産業カウンセラー】

 春になると、多くの人が桜の開花を待ちわびる。公園の木々が薄桃色に染まり始めるだけで、街の空気が柔らかく揺らぐようだ。私もそんな桜の時期には心が浮き立ってくる。春を早く感じたくて早咲きの河津桜に会いに行ったりもする。けれど、――少々気になってしまうことがある。確かに桜は美しい、決して嫌いではない。でも・・・でもという言葉が必ずつきまとう。

 桜の花びらの集まりがあり、その一個一個におしべの黒いところが見えるのだが、その集団がカエルの卵に見えて気持ち悪いのだ。「きれい」と言うより先に、背筋にわずかな寒気が走る。多分、私には重症ではないものの集合体恐怖症というものがあるせいだろう。ことにソメイヨシノは、白っぽいがゆえに成熟した黒いおしべがよく目立つ。

 昔、子供の昆虫図鑑に、カマキリの顔を大写しした写真があった。その複眼に鳥肌がたち、すぐさま紙を貼って見えなくした。写真集などのクモの巣の幾何学連続模様・・・あれを美しいと評価している人もいるが、私には苦痛でしかない。飲み物のタピオカも無理である。こんな感覚は私だけではないとは思っている。同調圧力的なこともあるのだろうか、皆がきれい、美しいという中で、気持ち悪い、気味が悪いなどとはとても言えないのだ。

 そんなころ、ある日の新聞で自分の感覚によく似た漫画を見つけた。心が躍り、浮き立った。それは岩手日報に載った「ゴム長靴のシュレーゲル」という漫画によるものだ。主人公のシュレーゲルは、黄色い長靴をはいたアオガエルである。宮沢賢治の童話「蛙のゴム靴」にインスピレーションを得、また、「春と修羅」の「桜の花が日に照ると どこか蛙の卵のやうだ 」という一節を引用した、アニメ作家・青池良輔氏の作品だ。

 花びらの塊を見て、シュレーゲルは、「わあ」「キラッキラの花、たくさんたくさん」「カエルのたまごみたいだね」と、体いっぱいに喜んでいる。その姿を見て、私はハッとした。こんな風に素直に喜んでいる爽やかさに、心を動かされた。日常のささいな出来事を、そのまま正直に受け止め、誰に気を使うこともなく表現できる――そのシンプルさが、なんとも羨ましい。

 自分の考えや見え方を大事にしようと決心すれば、人にどう思われようと、「自分にはこう見えるのだ」ということを、誰にでも臆せず言えるのかもしれない。皆が「きれいだね」と言っていても、「カエルの卵みたいで、気持ち悪いんだ」と言ってみたい。しかし、人間の世界はシュレーゲルの世界より複雑だ。思ったことをそのまま口にできない場面が多い。そんな中で、シュレーゲルの、自分が感じたことを、素直に表現できるシンプルな世界はとても好ましく、羨ましくも感じられる。世界を固定されたものとしてではなく、流動的なものとして眺める視線を示してくれるシュレーゲルは、今の私の「推し」である。

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