コラム第113号 掲載

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是れやこの 行くもかへるも 別れては
     知るもしらぬも 逢坂(あふさか)の関

 小倉百人一首の第十番、蝉丸の歌です。

 3月に入り、日差しが温かくなるにつれ、マリオスの1階ホールでは、大学や専門学校、高等学校の卒業式が連日行われています。
 私の頃は、学校の体育館や講堂で、暖房といえば父兄席に数個のダルマストーブを並べてあるだけで、生徒の方には暖気が届かず、寒い中で式を迎えたような気がします。時代でしょうか…。

 3月は別れの季節。で、この和歌が思い出されました。
 現代風に言うと、「これがあの有名な、都から出ていく人も、都に戻る人も、知り合いも、見知らぬ他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うという逢坂の関なんだぁ」といったところでしょうか。
 4月になれば、マリオスでは同じように入学式が多く執り行われます。
 入学式も卒業式もマリオスという学校も少なくないと思います。
 逢坂の関の歌は、言葉の並びから、ここで別れた人も、また、ここで出会うというような意味合いが伺われますが、さしずめマリオスはここで出会い、ここから巣立った場所として、卒業生の心に刻まれるのでしょうか。

 関所ではありませんが、盛岡駅を出て東に進むと、市街地への玄関口「開運橋」があります。
 この橋は、別名「二度泣き橋」と言われていることをご存じの方も多いかと思います。
 いわれは「東京など都会から赴任してきた転勤族の人が、盛岡駅を降り、開運橋を渡りながら、なんて遠くに来てしまったんだと嘆いて泣き、数年後、再び転勤で盛岡を去るとき、盛岡の人情や暮らしやすさを思い、開運橋を渡りながら、離れがたい気持ちがあふれて再び泣く」ということのようですが、この「二度泣き橋」について、以前、盛岡タイムス(だったと思います)に日銀盛岡事務所長が名付け親と載っていたように思います。
(間違いだったら、ごめんなさい。)

 県庁、市役所はもとより、以前は、国の合同庁舎も1号館と2号館が内丸にあり、また、金融機関などは中央通に集中していましたので、公務員をはじめ広域異動の方は盛岡に着任すると、ほぼ間違いなく開運橋を渡ることになるので、そんなこともあったのでしょうが、今は盛岡駅の西口に国の第二合同庁舎ができたり、盛岡西南地区の開発が進んだことから、開運橋を渡らずに着任する方も多くなったのではないでしょうか。
 また、新幹線も整備されて久しく、今では盛岡・東京間は最短で2時間ちょっととなり、都会の人から見ても盛岡はそれほど遠いとは感じないのでは。

 そんなわけで、今では盛岡に来て開運橋を渡りながら泣きたくなる人はいないだろうと思いますが、盛岡を去りがたいという気持ちだけは持ってもらえたら、地元民としてはうれしいなぁと思います。

 このシーズンに思い出すものがもう一つ。
 盛岡市出身の高橋研さんの「懐かしの4号線」という歌。ご存じの方、いらっしゃいますか?

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